1980年1月 開院
少名子しょうなご耳鼻咽喉科
院長:少名子正彬

TEL : 04-7163-3387

医院紹介 医療ミニ情報 エッセイ

お互いが協調して理解しあえる医師会員でありたい


 新執行部発足にあたり一言ご挨拶申し上げます。須田会長がこの2年間に柏市の将来を洞察した選択と方向性を確立してまいりました。この道筋をあやまらないように引きついでいくのが、今回私に課せられた役割の一つであると考えています。
 
 この度、柏地区医師会が県医師会から高木賞、学術奨励賞、健康教育賞の三賞を受賞しましたことは、長い間地域医療に貢献してきた努力が認められたこととともに、さらにこの受賞を機会になお一層研鑚をつんでほしいという励ましの言葉でもあると思われます。
 
 従いまして、この記念すべき三賞受賞記念祝賀会が新執行部への励ましの会として、また新執行部の幕開けを飾るにふさわしい会であったといわれるように心がけていきたいと思います。

 4月からは、県医師会の役員も改選され、柏地区医師会も青木県医師会副会長、堀内県医師会理事の誕生で県へ2人の役員を送るほどの地位を築いてまいりました。
私どもが、何にもわずらわせられることなく、のんびりと柏で診察を続けているときにも、ご自身の診療を休んで毎週千葉まで出かけてくださるのですから本当に有り難いことです。青木先生、堀内先生の今後のご活躍を心からご祈念申しあげます。
 
 会長就任に当たり、柏市における医師会の役割とは何かを考えてみます。
 私は柏の医療圏における連携と役割分担、病診連携の必要性ではないかと思います。
 このことを役員まかせでなく会員みんなで市民に向けて機会をとらえて説明していくこと、そして行政、市民が選んだ結論については、それらの事柄について十分に咀嚼されて検討された結果であれば、たとえ思ったような効果もなくて、くたびれもうけとしか思えないような、がっかりする結果となったとしても、その後のことについては感受せねばならないでしょう。

 私ども医療人は開業医、かかりつけ医、勤務医として自らの医療体制の枠組の中で市民の健康管理に寄与し、奉仕事業にも相当な協力を行っています。
 しかし、さらに医療弱者的立場と不採算部門については必然的に公共的施設が要求されます。
 このことは総論では理解できても、財政基盤の悪化などを理由に市民の医療への満足感を満たすことにはならず理論だけが、空回りする結果になり勝ちなのが現状であることは否めません。
 医療の枠組を如何に均衡を保つかは、為政者の将来展望を含めた医療、福祉行政を見通せる透視眼にかかっています。
 例えば、大学が三次救急医療体制を維持するについても、病床の確保のため二次病院との連携、救急用ベッドの確保にもっと話し合いの機会が必要なのではないでしょうか。
まず、医療面における弱者の立場にある小児、老人、救急に眼をむけて、将来構想を進めことが大切であると思われます。
 とかくマスコミなどから、医師会の主導や医師会のエゴで医療行政が行われているかのような見かたをされがちなことは、まことに残念なことです。

私どもがどんなに市民への医療サ-ビスに適切なアドバイスを送っているか世論に訴えるためにも、会員皆さんにもご協力いただくことは勿論のことです。

 また、会員も直接我が身に火の粉がふりかかってくるときには、ムキになっても、一度対岸の火事となると我関せずとなって気にもかけなくなるなど、多少とも反省して肝に銘じてまいりましょう。

医師会の運営のむずかしさは、こんなところにあると言っても過言ではありません。
市立病院の眼科増設一つをとってみましても、複数の選択肢から一つを選ぶときに、常に会員同士で利害が一致するとは限りません。
こういう時こそ、チ-ムプレイを心がけられるゆとりを失わないことが肝要でありましょう。
 また、今年は更に一層の飛躍を願って医療の他に、ごみゼロ運動や手賀沼浄化のボランティア活動にも参加し、広く社会に目をむけて、素晴らしい友好の輪を広げていきましょう。

医師会会長 挨拶 1996年5月



2000年代への提言


長寿ばかりが尊からず

 この頃、おめでたと最初にわかったときの言葉は「あら おめでたですか。それで、赤ちゃんはどちらですか。」「ええ、女の子なの」と、すでに性別が判って答えが返ってきます。出産前から性別を知ることができるのが当たり前の時代を迎えました。
 今日さらに医学が進んで、人間の寿命についても生まれたときに、その子の寿命やかかる病気まで判断できる時代がきます。間もなく、こんなことが自然にわかる時代がくるとすれば、生まれた時から特別に短い寿命とわかったとしたら、私たちはこのことをどのように受け止めればよいのでしょう。短い寿命であればこそ、より良い生涯になるように早くから考えねばなりません。たとえ短い寿命であったとしても、早くから準備すれば、長寿の人と変わらぬ人生を得ることができます。
もし、幸運にも長寿とわかれば、良い生活習慣を心がけれて暮らすようにして、ゆったりと人生設計ができて豊かな生涯を送ることができます。
 こうして短命にしろ長寿にしろ、命の限界を知り決められた時間を有意義に大切にして人間らしく豊かに生きることができることがより一層大切になってきます。
 真の意味で命の大切さに本当に目覚めることになり、この世に生きとし生けるもの全ての命を一緒に考え大切にしていく気持ちが育まれます。
 このような時代がくるようになったときに、医学の果たす役割はどのようになるのでしょう。これからの医学は遺伝子の弱いところに働いて有限に定まっている遺伝子を生活の乱れで喪失していかないよう如何に守っていくかということになってきます。医学が進歩すればするほど人命についても解き明かされ、無邪気に誰でも100歳まで生きられるような幻想を抱いていてはいられません。
 人間の精神的な強さがますます要求されます。それぞれの自分にあった生き方で才能を発揮して満足できる人生を送る努力をしなければなりません。文明の発達により物質本位のなげやりな世の中に流されると、家庭崩壊やいじめからいつまでも脱出することができません。
人生は各人一律ではないのですから、横並びの間違った平等精神は一考の必要があります。
精神的に強くなって生活すれば、ただ単に寿命の比較をして長寿ばかりを尊ぶのではなく、如何に人生に意欲を持って自分の役割を果たして有意義な生涯になるかを考えねばなりません。良い生活習慣を守っていれば遺伝子に傷がつきにくく天寿を全うすることができます。
 悪い生活習慣をする人は傷がつき早く病を得るということが判っています。
 毎日の生活の記録が微妙に相まって作用して健康度に差が出てきます。日常のストレスでも生活習慣に悪影響を及ぼします。生活習慣をよくし、無意識に覆い被さるライフストレスというものを排除するよう努力することが求められます。将来は病気になって抗生物質による耐性菌の問題や新たにC型肝炎やエイズのような新興感染症との戦いは変わりなく続いても、遺伝子の研究が進めば治療方法も変わってくることでしよう。また、科学が発達して塩化ビニールのような有機化合物を使わなくなればダイオキシンの発生も少なくなり、電気自動車にすればチッソ酸化物も少なくなり環境汚染も緩和され、アレルギーや喘息の子供もいなくなります。
 年をとって老化現象が現れ出してからも、コラーゲン等を注入して、飯を少なくすることも比較的簡単に出来るようになり、若い頃のような美しさを長く保つことができます。加齢するということは外見は衰えますが内面的には若い人より色々な人生経験をしているので、年と共に人間として磨かれ人格が完成されてきます。外見と内面が近づいて、きれいなお年寄りが増えれば、万年お嬢様と言われた往年の大スター高峰三枝子のような老人が増えます。
 そして、アルツハイマーの検査もありますから、E-4バンドがないことも確かめられ痴呆症の心配もなく、嫌われ者のボケ老人と言われて見向きもされなくなる将来を不安がることもありません。
 しかしながら、病気をしなくとも老化は避けられません。寿命が決まっているとすれば、寝たきりにならないで、いかに元気な時代をより長く保ち、天寿をまっとうするかにかかっています。2000年代はこうして円満な生涯を送って自分の生涯に満足して、最後は病気を受けいれ大きな気持ちで家族に見守られて惜しまれながら生涯を閉じることになります。



さじ加減ひとつで毒にも、薬にも


 9月30日に茨城県東海村で起きたウランの臨海事故は、ウランを混合するのに化学反応反結の影響を考えずに安易な方法で結果の恐ろしさも知らずに携わって事故が起こりました。
 もともと自然界に存在している物質でも、人間の操作や扱い方ひとつ、さじ加減ひとつで、有益な役に立つものになったり有害有なものになったりいたします。
 近年、エネルギーばかりではなく、産業鹿集や社会のあらゆる分野での進歩による変化は目覚しく、その結果箕、人々は多くの文明の利益と恩恵を享受してまいりました。一方、それとともに、大きな危険とも裏腹に産業廃棄物など地球環境を悪くしている状況も見逃せません。
 16世紀にパラケルススが物質が環境に毒になるかどうかは調合しだいであるといっていますが、自然の環境を破壊するのも、自然の恵みを受けられるのも、私たちの心がけひとつにかかつています。
 産業革命の幕開けは蒸気機関車の誕生でした。この蒸気機関車の燃料は石炭です。当時においては石炭は大切なエネルギ-源として認識され重宝されていましたが、これから出る石炭ガスとコ-ルタ-ルはやっかいな産業廃棄物でした。
やがて、研究が進み、石炭ガスはガス灯の燃料に利用されるようになりました。コールタールは悪魔の水と呼ばれ嫌われていましたが、幸いなことに医療器具の消毒薬になることが判りました。それまでは消毒薬がなかったために、外科手術の際手術後に患者の多くが感染をおこして敗血症で命を落としておりました。
 今日では、チッソ酸化物といえば、排気ガスに含まれる大気汚染有害物質として烙印を押されていますが、このチッソ酸化物がニトログリセリンの成分となって狭心症の特効薬として心臓の筋肉の血管を広げて血液の流れをよくすることに役立つのです。また、脳の中ではものごとを記憶するときに働らきます。このようなチッソ酸化物質の基本的な働きを発見したのがフェリド・ムラドでノーベル基礎医学賞を受賞しています。
 振り返って歴史を紐解いてみますと、ラボアジェが18世紀に分子、元素という考え方を提唱してから、産業の発展、科学の進歩がめざましく躍進しました。
分子レベルの研究ができるようになってから、医学の面においては、細菌学と免疫学が特に進歩しました。長年人類を苦しめてきた病気のひとつに感染症がありますが、ペニシリンの発見は画期的なものでした。
 イギリスのフレミングが毒にしかならないと敬遠されていたカビからペニシリンを発見したのが昭和4年でした。このおかげで、チャーチル首相は一命をとりとめたといわれています。
日本では、ペニシリンが初めて患者さんに投与されたのは、その17年後の終戦から1週間たってからのことでした。
また、天然痘の免疫療法はジェンナーによって1796年におこなわれてから、種痘が普及して今やWHOによって根絶宣言するにいたっています。これに続いてポリオも世界のロータリークラブが未開発国にワクチンを提供して協力しているほどで、やがて2005年には根絶できるのではないかと期待されています。
 その後、広範囲スペクトルの抗生物質が次々に発見されましたので、感染症が根絶できるのではないかと思われるほどになりました。しかし、細菌の方も抗生物質に抵抗できる耐性菌を作り次第に強くなって今までの抗生物質では効き目がなくなってきます。
 人間は種の保存のために、どんなに過酷な時代の流れにあっても環境に順応してヤドカリのようにどこにでも住みこなして子孫を残して命を引き継いで生き延びています。細菌も種の保存のために細胞分裂を繰り返しています。インフルエンザ・ビールスも突然変異を繰り返しながら、しぶとく種の保存を因って生き残ってきています。
 その中に、エイズやC型肝炎など新たな新興感染症も加わってきました。
 このように人類、植物、動物、微生物は自らの種の保存をはかって、次の世代へ命を継承しています。人間が自然界がもともと持っている自然界の営みである生態系を考慮しないで人間本位の生活環境を作ろうとすると、自然は再生不可能になり、地球環境が著しく破壊され地球の美しい緑や水が失われ生物の生きていけない砂漠のようになってしまいます。文明の利器が如何にすばらしいものであっても、誤った使い方をすると取り返しのつかないことにもなりかねません。
科学技術庁や政府、企業などの組織が行う専門的な取り組みが地球環境問題を主にした考え方にたっているか、また職場に配置された実際にその仕事をする人達が如何に的確に大切な作業に携わっているかを、もう一度物事の根底から考えなおして、予測される人為的ミスは二度と起こらぬよう心を注いでいかねばなりません。
 専門的分野に携わる人達の物質の扱い方、さじ加減は原子力発電となって人々を潤すか、放射能漏れによって地球汚染となって公害となるのかの分かれ道ともなりますのでどんなに細心の注意をしてもし過ぎることはありません。人間のたった一度の不用意な行為で、自然の生態系を壊すと汚染された海、山、川はもとの美しい環境を取り戻すには、そう簡単なものではなく、その何倍もの時間と努力を要します。人間は地球環境を汚さず節度ある生き方をして自然と共存できる生き方をしていかねばならないことを痛感いたします。





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